夢売り人の箱

スモールビジネスの応援ブログ

閑話休題④

やっぱり野球が人気

昭和の後半は1年の中でテレビでのサッカー観戦といえば「トヨタカップ」と「高校サッカー」と「天皇杯」くらいでした。

海外のサッカー情報は深夜の放送等で知る程度。
「オリンピック予選」や「W杯予選」も放送はされていましたが・・・

その当時の野球については後日に。

まずは「悲劇の夜」からです。

日本に?

元号が平成になり衛星放送(BS)が始まると、海外サッカーの試合が放送されるようになります。

ドライブシュート」って実際に出来るんだなあ~と(笑)

そんな中で1991年に国内にプロサッカーリーグが出来ることが発表されます。

Jリーグ元年とW杯アジア予選

1993年はとにかくサッカーに湧いた年。

日本発のプロサッカーリーグの開幕、そして夢のサッカーW杯出場へ向けて。
前年の1992年にアジアカップを制していた日本代表はもちろん出場有力候補でした。

過密?

93年当時の日本代表選手の日程

2月16日~23日 国際親善試合 3試合(イタリア)

3月7日~14日 キリンカップ 2試合(日本)

4月8日~18日 W杯アジア地区1次予選 4試合(日本)

4月28日~5月7日  W杯アジア地区1次予選 4試合(ドバイ、アルアイン)

5月15日~7月14日 Jリーグ 1stステージ 18試合

7月24日~9月3日 Jリーグ 2ndステージ 9試合
9月15日~9月23日 国際親善試合 3試合(スペイン)

10月4日 アフロ・アジア選手権 1試合(日本)

10月15日~10月28日 W杯アジア地区最終予選 5試合(ドーハ)

11月6日~12月15日 Jリーグ 2ndステージ 9試合

12月5日~94年1月1日 第73回天皇杯

他の年と比較はしていませんが、リーグ初年度とW杯初出場へのプレッシャーは私達が想像できることがない重圧だったことだと思います。

10月28日

当時の日本代表はJリーグでも上位を争うチームの選手で構成されたオールスターキャストでした。

それだけに疲労は想像を絶するものだったと。

日本時間22時過ぎののキックオフ。手に汗を握り締めながら画面に齧りついていたと記憶しています。

前半戦終了時では1-0でリード。最終戦は他会場も同時刻開始なので、その時点ではそのまま勝利すれば出場決定。

後半スタート。1度同点にされるも中山雅史選手の勝ち越し弾でリードしそのまま後半も44分へ。

日本は28日から29日へ

画面越しからでも伝わってくる選手達の疲労。あと少し、あと1分と祈りながら画面を見つめていました・・・

終了後ある選手が語られていたように、

イラクの選手のプレーがまるでスローモーションの様に、

「あ、あかんー!」と私は叫んでいました。

ボールはゴールラインを割り同点に。
喜ぶイラクサイド、そして日本に早くリスタートを促す。

もちろんその時点で他会場の結果を知っていたのかはわからないが勝てばイラクにも出場のチャンスがまだあったわけで、ただし当時のイラクフセイン大統領の政権下であり「負けたら戦地へ」なんてことも言われていたとかも。

そして日本がボールをイラク陣内へパスを送り出すもののラインを割り試合終了の笛。

画面の向こうの代表選手達が倒れ込む。

約2時間凝視していた私も力が抜け声こそ出していないですが涙を流したと記憶しています。

闘い終って

「感動をありがとう」それだけでした。

代表選手は1週間後には再開するリーグ戦へ。
改めてトップアスリートの精神力と体力に尊敬。

次回は・・・

前回に「歓喜」も続けて書くと予定していましたが、

思い入れが強過ぎて長くなりましたので次回はきちんと「歓喜の夜」をお送りします。こちらも長くなるかもしれません、確定ですか?(笑)

それではこれにて失礼いたします。