夏季の前には冬季があった
先に書いていましたが、1992年までは夏季オリンピック開催年の2月に行われていました。
84年冬はサラエボ(現在の表記はサラエヴォ)での開催。当時はユーゴスラビア社会主義連邦共和国を構成するボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国の首都でした。
天才少女現る
80年冬季オリンピック終了後、日本の女子フィギュア界に綺羅星が誕生します。
小学校4年生ながら3月の全日本ジュニア選手権に出場し優勝。5年生になった同11月のNHK杯にも特別出場。12月の世界ジュニア選手権では総合8位、同月の全日本選手権では3位入賞を果たすなど華々しいデビューでした。
サラエボ大会への出場を期待されましたが開催前の代表選考会を兼ねた84年全日本選手権で惜しくも2位となり、当時は出場枠がひとつだったため出場できませんでした。
冬季五輪や彼女については後日に。
少し脱線しましたね(笑)夏に話を戻します。
日本代表選手団
ロス五輪開会式の入場行進の旗手は男子ハンマー投の室伏重信さん。室伏広治さんと室伏由佳さんのご兄妹のお父さんです。当時39歳10ヶ月、不参加のモスクワを含めると4大会連続オリンピック代表のアジアの鉄人です。ちなみにこの年にマークした75m96の日本記録は1998年に広治さんに破られますが現在でも日本歴代2位の記録です。ちなみに由佳さんのハンマー投の記録も日本歴代2位です。
室伏DNA恐るべし!
8年間の空白
モスクワ不参加を表明した日本の代表選手は総勢178名。
そのうち51名の方々がロス五輪以降に選手として参加されています。
上述の室伏氏は72年のミュンヘンからですが、特筆すべきは射撃のラピッドファイアピストルの蒲池猛夫さんです。なんと68年のメキシコから5大会連続で代表入り、そしてロスでは悲願の金メダルを達成されます。御年48歳での獲得は現在でも日本代表選手のメダリスト最高齢記録です。
隠れた鉄人
大学3年生時にアーチェリー個人で銅メダルを獲得した山本博さん。なんと20年後の2004年41歳の時にシドニー大会で銀メダルを獲得したことで一躍時の人に。
「中年の星」とか教職に就いておられたことから「山本先生」と呼ばれておられましたが、実は高校生時にインターハイ3連覇。その高3時にモスクワ五輪の国内予選4位で第2補欠。そこから一浪して入学した日本体育大学でもインカレ4連覇。
1981年(おそらく浪人時)から2005年まで世界大会に13回連続出場。
中学3年時には独力で全日本選手権にも出場されていたというから驚きです。
ロサンゼルスからバルセロナまで4回連続、シドニーは残念ながら国内予選で敗退するも上述のようにシドニーで銀。
個人種目での5回出場は日本人最多の記録です。
さて次回は
まだまだ日本代表選手を取り上げて行きたいと思います。
ロス五輪と言えば・・・の”あの人”に果たして辿りつけるのか?
今回も稚拙な構成の乱文をお読みいただきありがとうございました。
それでは次回をお楽しみに。