昭和の時代は
「狂犬病」等の予防から保健所による野良犬(野犬)の捕獲がされていました。
昭和60年代でも飼い主の遺棄や放し飼いによる咬傷等も多く、捕獲現場を見かけることもありました。

家業の手伝いで
先方様のひとつに私立の保育園がありました。
理事長先生を含め多くの職員の方々とは幼少の頃から面識がありましたので、集金や配達等や業務の補助の際によく伺っていました。
人懐っこい
その園の入り口付近で飼われていた小柄なワンコが居ました。
名前は「えびす」・・・片仮名だったかも?
ミックス犬の黒褐色の毛色の女の子です。
行く度に愛嬌たっぷりでお出迎えをしてくれました。
出逢い
ロス後しばらくしたある日のこと。
父と一緒に園に用事へ出向くと日中は外に居る「えびす」がゲージ、というか金網柵の木製の飼育小屋の中に居ます。
その傍らには・・・なんと4体の小さなもふもふが♪

「あかんで・・・」
小屋に近付くと「えびす」は産後の疲れと警戒心からか少し頭を動かしただけでしたので、柵から少し距離を置いて眺めていました。
仔犬たちのうち3頭は母犬の血を色濃く引いて黒褐色だったのですが、1番左端にいた仔だけが茶色系で色合いと雰囲気が「リュウ」に似て・・・目が合ってしまいます。
察した父「飼わへんで」
察する息子「わかっとる」
ちなみに
「えびす」ですが毎日閉園する頃には上述の小屋の中に入り夜を明かします。
あれ?お父さんは通ってこられていたのかな~(笑)
こちらについては後日譚があります。次回以降に書きますね。

仔達の運命
当時は現代のように保護活動があまり知られておらず、仔イヌや仔ネコの処分も多かったと記憶しています。
当時理事長先生に「この仔たちどうするの?」と尋ねてみたとことろ
「かわいそうだけど貰い手がなかったら保健所かなあ~」
直談判
帰宅後、妹と母に瓜二つの仔がいたと伝えます。
そして父には、その仔が4頭の中で最後まで残っていたのなら我が家に迎えたいです、と提案します。
父「先に貰われていったとしたら他の仔にするんか?」
私「その時は諦める」
父「わかった。そう伝えてみる」
40年前の記憶なので曖昧ですが
それから約ひと月くらいが経過したある日。
確か突然、父がその仔を車で連れて帰ってきます。
(私が迎えに行ったかとも思っていたのですが、ピンとこないので)
後に聞いた話ですが本当に最後まで残っていたとのことでした。
父が「名前はどうするんや?」
男の子でしたので家族総意で迷うことなく・・・
2代目「リュウ」
先述してますが2代目襲名も”あの”一世風靡をしたワンコよりも前の話です♪
先代「リュウ」の生家である友人宅へは一緒に連れて行き、ご挨拶をさせていただきました。その際に「この仔は足が太いから大きくなるよ」と。
母犬の「えびす」は中型でも小さい部類の女の子だったので、どうかな?とは思いましたが、その予言ずばり当たります(笑)

躾は主に父が担当
トイレ等の躾も済み、外の世界はまず玄関先で遊ぶことから始めます。
まさにその姿は動くぬいぐるみ(笑)
慣れてきた頃からリードを付けての散歩の練習。
車の怖さは父が厳しく教えていました。
でも溺愛っぷりは半端なかったです~後述します(笑)
さて次回は・・・
縁があって我が家の一員となった2代目「リュウ」くん。
アンヨがしっかりとしてくると、なかなかの天然ボケをぶちかましてくれます。
次話お楽しみに。