4年後へ向けて
1980年大学を卒業後、エスビー食品に入社された瀬古さんの初マラソンは同年12月の福岡。この大会でモントリオール・モスクワの金メダリスト、ワルデマール・チェルピンスキーを破り日本人初の3連覇と共に初の9分台を記録。レース後チェルピンスキーさんは「瀬古には勝てない」とも。
1981年に入り2月に青梅マラソン(30km)に出場し1時間29分32秒の大会新記録をたたき出します(この記録は2019年に破られるまで38年間大会記録)
同年3月にはトラックの25000m(1時間13分55秒8)と30000m(1時間29分18秒8)の当時の世界記録を樹立(この両記録も2011年に破られるまで国際陸上連盟が公認するトラック種目として日本人唯一の世界記録)されます。
同年4月のボストンマラソンでも9分台の好タイムで日本人7人目の優勝を飾るなど
しましたが怪我に見舞われます。
復帰
1983年2月に1年10カ月ぶりに東京国際マラソンに出場し、日本人初の8分台(38秒)の当時世界歴代3位のタイムで復活を果たします。
そしてオリンピック選考会にもあたる同年12月の福岡でも8分52秒で優勝します。3位の宋茂さんが9分11秒、4位の宋猛さんも9分17秒と高レベルでのレースとなったことも含め、8分台の好タイムで4連覇を果たし名実ともに次の五輪での金メダル候補に。
いざロサンゼルスへ
陸上競技の中で暑さが大敵のマラソン。戦後の夏季オリンピックは例外が無いかぎり7月後半から8月にかけて行われています。
温暖化が叫ばれ始めており北半球であっても気温は高くアメリカ西海岸も酷暑と予想されていました。
暑さ対策が課題とされた大会でしたが瀬古さんは後半ペースが落ち結果は14位に。宋猛さんは4位に入賞します。
夏休みだったこともありテレビで視ていました。
先述していましたが女子のマラソンが初実施。金メダルを獲得した選手よりも熱中症(当時は脱水症状ってしか言われてなかったような)でフラフラになりながらもゴールしたアンデルセン選手が記憶に残っています。
さてそろそろ
瀬古さんのロス五輪後はまたどこかで書こうかな、と思っていますのでここからはやっと”あの人”に。
1983年世界へ
アメリカ国内ではまず走り幅跳びで頭角を現されます。
そして第1回目の世界陸上で100m、走幅跳び、4×100mリレーで金メダルを獲得し陸上界の綺羅星へ。
後年「ビートたけしのスポーツ大将」でも活躍した、
84年のロサンゼルスオリンピックでは100m、200m、走幅跳び、4×100mリレーで4つの金メダルを獲得。
”世界のスーパースター”とはこういう人を言うのだな、と当時12歳の少年は夏休み中のテレビ画面を視て感じていました。
”あの人”との共演があったかも
さらに驚くべきなのは競技未経験にも関わらずオリンピック前に行われたNBA(バスケットボール)とNFL(アメリカンフットボール)のドラフトでシカゴ・ブルス(10巡目208位)とダラス・カウボーイズ(12巡目334位)に指名されています。
どちらもルイス氏の身体能力に魅力を感じたからだそうです。
もちろん契約・入団されていませんが、このドラフトにはこの五輪バスケットボール・アメリカ代表でもあり、後のあの”神様”の彼が1巡目3位でシカゴ・ブルスに指名されています!
そういえば”神様”も一時期野球されていましたけどね。
トップアスリートの身体能力の高さには驚愕するしかありません。
ifの世界でルイス氏と神様のNBAでのプレーが視れる可能性があったのだと思うとワクワクします。
さて次回は・・・
オリンピック関連はまだ後ほど。
マラソンに少し触れましたので駅伝について語ろうかなと考えています。
今回も稚拙な構成ならびに乱文をお読みいただきありがとうございました。
それではこれにて。次回をお楽しみに。