「ドーハの悲劇」
日本時間1993年10月29日、未明の夜の出来事は後にそう呼ばれることになります。
ちなみに同じく最終予選に出場していた韓国では「ドーハの奇跡」と呼ばれているそうです。
Jリーグ初年度を終え
日本サッカーの次の目標は1996年のアトランタオリンピックへの出場となります。
1995年5月に第1次予選が始まり、翌年の最終予選への進出を決めます。
1995年で思い出されるのは1月に阪神大震災、3月に地下鉄サリン事件と大きな出来事がありました。
28年ぶりの出場決定
1996年3月24日、マレーシア・クアラルンプールでの最終予選リーグA組を1位で通過した日本は出場権をかけた準決勝をB組2位のサウジアラビア代表と闘うことになります。
当時のサウジアラビア五輪代表はアジア最強の呼び声が高く難しい試合が予想されましたが耐えに耐えて2-1で勝利し1968年メキシコオリンピック以来の出場が決定します。
実はこの年の6月に日本が立候補しているW杯の開催国の発表が予定されていたので94年W杯出場を逃していたこともあり悲願の出場権獲得でした。
まずはW杯の・・・
のちに知ることになるのですが実は日本のW杯の招致は国際サッカー連盟(FIFA)へ1989年に開催地立候補の意思表示をしたところから始まっていました。
1991年には委員会も立ち上げ招致を国家事業として進めていた。
韓国は1993年11月に立候補を表明し、1995年2月にメキシコが立候補を辞退したため一騎打ちの様相となります。
そして運命の1996年5月31日。
発表されたのは皆様のご存じのとおり
「2002年W杯は日本と韓国の共同開催」となります。
アトランタが五輪開幕
サッカーはブラジル、ナイジェリア、ハンガリーとのDグループ。
皮算用はブラジルは最強チームと目されていたので失点をできるだけ少なくした上で
敗戦するとしていて1勝1敗1分で予選を通過することが出来ればいいところだとの見方でした。
「マイアミの奇跡」
現地時間7月21日(日本は7月22日)
ブラジル戦キックオフ。月曜日の朝でしたが仕事場にテレビがあったので点けていました。流れてくる音声はブラジルの猛攻ばかりを伝えますがなんとか0-0で前半が終了。
前述していますが応援するからには勝って欲しいとは思ってはいましたが、当時のブラジル五輪サッカー代表メンバーは既にA代表(トップチーム)で活躍する選手も多く、さらにオーバーエイジ枠でA代表のレギュラー選手を3人補強するという(それぞれ著名な選手ばかり!)最強過ぎる構成でした。
そして後半27分の日本の得点。喜びはしましたがなにせ相手は世界最強。
そこから20分間強烈な攻撃が日本陣内で展開されますが守り切って、そして
「奇跡」完成!
ちなみに敗戦したブラジルでは「マイアミの屈辱」と呼ばれていたそうです(-_-)
そのあとの結果は・・・
初戦の強敵に勝利し、こちらも前評判が高かったナイジェリアに敗戦するもポーランドに競り勝ち2勝1敗としましたが得失点差で決勝トーナメント進出は逃しますが日本サッカーを更に世界に示した大会となりました。
次の目標はフランスW杯出場へ
色々な思惑が交錯し「初の共催」が決まった日本サッカー界。
W杯の出場回数で言えばW杯アメリカ大会で韓国は4回。
次のフランス大会は何としても出場を、アジア予選が始まる前にはそんな空気が流れていたような気がします。
次回は・・・
「歓喜の夜」まで辿り着かせる予定でしたが、「ドーハ」から”そこ”に至るまでの「クアラルンプール」と「マイアミ」は外せなくて(__)
アジア最終予選あたりから話を書きたいと思います。
今回も稚拙な構成の乱文をお読みいただきありがとうございます。
それでは失礼致します。